
先日、散歩の途中でふと見上げた空に、鯉のぼりが泳いでいるのを見つけました。
思わず足を止め、その様子をじっと眺めてしまいました。
私が今暮らしている町は、駅の周辺に広がる市街地です。
マンションや集合住宅が多く、敷地が広い家はほとんどありません。
そのせいか、子どもの日が近づいても、あまり鯉のぼりを見ることはありません。
マンションのベランダに飾られた小さな鯉のぼりを見つけると、「あっ、かわいいな」とほっこりした気分になり、少しだけ幸せな気持ちになります。
ある日立ち寄った神社で、大きな鯉のぼりが空を泳いでいるのを見かけました。
風を受けて、まるで本当に空を泳いでいるかのように、ゆったりとたなびいている姿を見ることが出来ました。
その時、子どもの頃の記憶が一気にあふれ出してきました。
私が育ったのは、住宅街のど真ん中。
両隣の家とは手を伸ばせば届くほどの距離で、庭というほどのスペースもないような、そんな家でした。
今思えば決して裕福とは言えない家庭だったと思いますが、それでも両親は私のために鯉のぼりを買ってくれました。
嬉しくて、飛び跳ねて喜んだことを今でも覚えています。
しかし実際に鯉のぼりを揚げるには、あまりにも厳しい住宅事情です。
高く掲げるにはスペースが足りず、電線や電柱が張り巡らされた中で、思うように空へ揚げることはできませんでした。
それでも私は、何も知らず「鯉のぼりを揚げてよ!」と何度も頼みました。
無邪気な私に応えるため、両親はどうにか工夫をしながら、少しでも空に揚げようとしてくれました。
今思えば、近所に気を遣いながら、電線に触れないようにと四苦八苦していたことでしょう。重いポールを立てるのも、揚げてはしまうのも、きっと一苦労だったと思います。
それでも、私のために頑張ってくれたんだな…と、今なら分かります。
あの時、なぜ上げることもままならない鯉のぼりを買ってくれたのか。
もし、今の私が親の立場だったら、同じようにしていただろうか?
正直、それは分かりません。
私は子どもがいないので、親の気持ちを完全に理解することはできません。
ただ、ひとつだけ確かなのは、その時「私がとても嬉しかった」という気持ちが、今でもはっきりと心に残っていることです。
小さな家で、空を必死に泳ごうとしていた鯉のぼり。
その姿と、それを見上げていた小さな自分。
あの日の景色と、胸が高鳴った感覚は、いまでも鮮明に思い出すことができます。
そして、それを叶えてくれた両親への感謝の気持ちも。
今ではもう鯉のぼりを目にする機会も少なくなりつつあります。
けれど、たまに空を見上げて彼らの姿を見つけると、懐かしさとともに静かにあたたかい気持ちが胸を満たしていきます。
子どもだった私のために、一生懸命になってくれたあの日の両親に、心の中でありがとうを伝えたいと思います。
ブログを読んで頂きありがとうございます。
またお会いしましょう。
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