
明日は母に会いに行く予定です。
できれば毎週顔を見に行きたいと思っているのですが、なかなかそうはいきません。
気づけば何週間も間が空いてしまうこともあります。
母は今、一人暮らしをしています。
いろいろと事情があってのことですが、本人が望んだ形でもあります。
それでも、やはり離れて暮らしていると心配は尽きません。
電話をしても出ないときは「何かあったのでは」と不安になり、逆に何度もかかってくるときは「よほど不安だったのかな」と胸が締めつけられる思いになります。
最近は、母の認知症が少しずつ進んできているようです。
同じ話を繰り返すのは日常になり、短期記憶もあやふやになってきました。
先週あげた物を「初めて見る」と言ったり、同じものを何度も買ってきたり。
そんな様子を目の当たりにすると、やはり年齢には逆らえないのだなあと、しみじみ感じます。
私が母の家に行くと、まず行うのは冷蔵庫のチェックです。
消費期限の近いものや、すでに期限を過ぎてしまっているものがないかを確認します。
必要があれば処分もしますが、中でも特に困るのがお肉類。
傷んでしまうと匂いが強烈で、冷蔵庫全体に広がってしまいます。毎週行ければこまめにチェックできるけれど、それができないときはやはり心配です。
とはいえ、母にとって買い物は、数少ない楽しみの一つなのかもしれません。
スーパーで品物を見ながらあれこれ選ぶ時間が、彼女にとっての気分転換やストレス解消になっているのだと思います。
特に印象的なのは、母が買ってくるものの中に昔私が好きだったお菓子やおかずがよく混ざっていること。
「ああ、やっぱり母なんだな」と思わず考えてしまいます。
子どもを想う気持ちは、いくつになっても変わらないのでしょう。
最近は、一緒に買い物に行くようにしています。
出かける前に「今日は何を買うかリストを作ろう」と提案するのですが、実際にスーパーに着くと、つい目に留まったものをどんどんカゴに入れていきます。「それ、家にまだあったよ」と言うと、「あら、そうだったかね」と少し恥ずかしそうに笑う母。
その表情を見ていると、愛おしさがこみ上げてきます。
母が元気だった頃の姿を思い出すと、今の変化に切なさを感じることもあります。
でも、「昔はこうだったのに」と比べてばかりいても、きっと母もつらくなるだけ。
大切なのは「今の母」とどう向き合うかだと、自分に言い聞かせています。
話が噛み合わないことがあっても、何度も同じ話を聞くことになっても、それでも一緒に過ごせる時間は私にとってかけがえのないものです。
明日はどんな一日になるでしょうか。
冷蔵庫を整理して、一緒に買い物に行って、お茶を飲みながら同じ話を繰り返し聞く。
そんな何気ない一日が、今の私にとってはとても大切でかけがえのない時間なのです。
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