
クラシック音楽が好きです。
でも、私は楽譜が読めません。
五線譜を見ても、まるで暗号のように感じてしまって、「なんのこっちゃ?」と首をかしげるばかり。
小さい頃、ピアノを少しだけ習ったことがあります。
弾ける曲といえば、子どもの定番「猫踏んじゃった」くらい。
それ以外の曲には一切手を出せずに終わってしまいました。
だから、楽譜をスラスラと読みこなして、楽器を自由に演奏できる人が本当にうらやましいのです。
クラシックを聴いていると、そういう気持ちがふと湧き上がってきます。
「私も楽譜が読めたら、こんなに好きな音楽を、もっと深く味わえるのかもしれないな」と思いながら、今日もまたイヤホンを耳に通勤電車に揺られています。
今朝はブルックナーの交響曲第9番を聴いていました。
静かな旋律が、満員電車のざわざわとした雰囲気の中で、少しだけ私の心を落ち着かせてくれます。
音楽の力ってすごいですね。
通勤時間には本を読むことが多いのですが、クラシックと読書の組み合わせは、私にとってとても心地いい時間です。
電車の混雑も、ほんの少しだけ和らいで感じられます。
でも、最近の通勤電車は、なんとなく殺伐としているように感じることもあります。
例えば、誰かにぶつかっても何も言わない人。
混雑して身体が触れただけで、あからさまに嫌な顔をする人。
中には、こちらにわざと身体をぶつけてくるような人もいて…。
昔はもう少し、ゆるやかな空気が流れていたような気がするのですが、それは私の思い出が美化されているだけかもしれませんね。
もちろん、イヤホンをしている以上、周囲の音が聞こえづらくなることは自覚しています。その分、私はまわりにぶつからないように、できる限り気を配っているつもりです。
それでも、朝の通勤電車は気を張る場面も多くて、できれば混雑を避けたくて、最近はなるべく早く家を出て、早めに会社に着くようにしています。
それでも電車が遅れたりして、やむを得ず混雑に巻き込まれることもあります。
そんな時は、できるだけ人と関わらないようにして、静かに過ごすように心がけています。
今は、何が起こるかわからない時代です。
通勤時間は、ちょっとしたことでトラブルになることもあるので、必要以上に接触しない、関わらないことも、自分を守る手段のひとつだと感じています。
思えば、学生時代に比べれば、電車の混雑は少しだけ緩和されたような気がします。
それでも、まだまだたくさんの人が毎朝、電車に揺られて通勤しているんだなと、改めて実感します。
「みんな、それぞれの場所に向かって頑張っているんだな」と思うと、私もがんばらなきゃ、という気持ちになります。
今朝も電車はなかなかの混雑でしたが、無事に会社に到着できました。
小さなことかもしれませんが、「今日も無事に過ごせた」と思えることに、少しだけ感謝の気持ちが湧いてきます。
明日もまた、クラシックと本に助けられながら、混雑する電車に乗って、日常の一歩を踏み出していこうと思います。
楽譜が読めなくても、音楽の楽しさを感じる心があれば、それで十分なのかもしれません。
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