定期的な宿泊で感じた安心と戸惑い
先日、新しいマットレスを購入しました。
理由は、これから高齢の母の家に定期的に宿泊することに決めたからです。
私は50代後半に入り、これまで母の様子は日中に顔を出して確認する程度でした。
しかし最近になり、高齢の親をどう見守るかを改めて考えるようになり、ついに一歩を踏み出しました。
連絡が取れなかった不安から始まった「宿泊見守り」
今年の初めから「定期的に母の家に泊まろう」と計画してはいましたが、なかなか実行できずにいました。
そんな私の背中を押したのは、母と連絡が取れなくなった出来事です。
電話をしても出ない。
嫌な予感がして警察と消防に連絡し、最終的にはドアを開けてもらいました。
幸い母に大きな異常はなく、安心しましたが、この経験が「これからはもっと近くで見守らなければ」と決心するきっかけになりました。
初めての宿泊・・・母の安心と私の気づき
母の家に泊まるのは今回が初めて。近くに住んでいるとはいえ、これまでは「日中に様子を見るだけ」でした。
実際に泊まってみると、母からはこんな言葉が聞けました。
・「安心して眠れる」
・「夜も心配せずに過ごせる」
高齢の母にとって、夜の時間を一人で過ごさなくて済むのは大きな安心感につながるようです。
これだけでも、宿泊の意味があったと感じました。
介護準備の現実・・・一番大変だったのは「母の抱える思い」
一方で、私にとっては大変に感じる場面もありました。特に辛かったのは、母が抱えてきた不満や怒りを延々と聞く時間です。
夕食になると、若いころから現在に至るまでの姉との確執、父との関係、旅行での嫌な思い出、過去の不満・・・
まるで心の中にたまったものを吐き出すように話が続きます。
母にとっては「誰かに聞いてほしい」だけなのかもしれません。
しかし聞く側の私にとっては重たく、思わず「せめて食事中は楽しい話をしてほしい」と口にしてしまいました。
これは、高齢の親と暮らす・見守るうえで避けて通れない現実のひとつかもしれません。
シニアとの生活リズムの違い
もうひとつ戸惑ったのは、生活リズムの違いです。
母は早寝早起き。夜も9時過ぎには布団に入ります。
一方で私は夜更かし気味で、寝るのは12時を過ぎることもあります。
母に合わせて早く寝るのは簡単ではなく、最初の宿泊では体が慣れずに疲れが残りました。
シニア世代と一緒に暮らす、または定期的に宿泊する場合、生活リズムをどう合わせるかは重要な課題です。
テレビの音量問題と工夫
さらに気になったのは「音」の問題です。
母は耳が遠いため、テレビの音量が非常に大きくなります。
私は普段ほとんどテレビを見ないので、その音が一層強く響きます。
別のことをしていると集中できず、ストレスに感じるほどでした。
最終的にはイヤホンをして自分の時間を確保しましたが、こうした生活習慣の違いが生む小さなストレスも、見守り生活の一部なのだと実感しました。
新しいマットレスと睡眠の工夫
宿泊用に購入したマットレスは思った以上に快適でしたが、普段と違う寝具のためか、翌朝は少し腰や肩に違和感が残りました。
ただ、これは数回泊まれば体も慣れていくでしょう。それよりも、母が「息子が泊まってくれることで安心できる」と話してくれたことの方が、ずっと大きな意味がありました。
高齢の親の見守りは「介護の準備」でもある
今回の宿泊を通して、私は「これはもう介護の準備の一歩なのだ」と実感しました。
母はまだ自立して生活できています。しかし、年齢を重ねるにつれて体調の変化や生活のリスクは確実に増えていきます。
・定期的に宿泊して体調や食事を確認する
・一緒に過ごすことで生活のリズムを把握する
・不満や愚痴を受け止めつつ、心のケアを意識する
こうした積み重ねが、将来の本格的な介護に向けての準備になるのだと思います。
今後の課題と目標
今は週に一度の宿泊を予定しています。課題はまだまだありますが、少しずつ「お互いにとって快適な時間の過ごし方」を探していきたいです。
・生活リズムのすり合わせ
・音量や騒音の工夫
・食事中の話題づくり
・睡眠環境の改善
こうした小さな工夫を積み重ねながら、高齢の親の見守りを「義務」ではなく「自然な習慣」として続けていきたいと考えています。
まとめ・・・一緒に過ごす時間が「安心」をつくる
今回の経験を通じて感じたのは、「一緒に過ごす時間」こそが最大の安心を生むということです。
母は「泊まってくれることで安心できる」と言い、私は「母の本音に触れ、生活の様子を肌で感じる」ことができました。もちろん大変な部分もありますが、それ以上に得られるものがありました。
これからも高齢の親の見守りを続け、定期的な宿泊を通じて安心と信頼の時間を積み重ねていきたいと思います。
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