高齢の母の見守りのため、定期的に実家へ宿泊する生活を続けています。
同居でも本格的な介護でもない、いわゆる「親の見守り」ですが、実際に続けてみると、想像以上に心と体に負担がかかっています。
今回は、母の見守りを続けて4か月が経過して分かったこと、少しだけ改善できた点、そしてどうしても解決できない悩みについて、正直な気持ちで書き残します。
1/10に訪問、宿泊します。
親の見守りで一番つらいのは「食事の時間」
前回から、少しだけ改善できたことがあります。
それは 昼ご飯を一緒に食べなかったこと です。
昼食を食べると、5時前にはもう夕食の時間になってしまい、ほとんど間が空きません。
お腹が空いていない状態で夕食を迎えることになります。
「あとで食べる」と伝えても、母は私が食べるまで手を付けず、ずっと待っています。
その空気に耐えられず、結局は早めに夕食を始めてしまう。
その結果、食後に気分が悪くなることが何度もありました。
昼食をやめることで体調は改善した
今日は思い切って、昼食をやめて夕食一本に集中することにしました。
その結果、体調も良く、夕食の時間を比較的落ち着いて過ごすことができました。
ほんの小さな工夫ですが、これははっきりとした「改善点」だったと思います。
親の見守りでは、こうした小さな調整の積み重ねが、こちらの体調やメンタルを守ることにつながるのだと実感しました
高齢の母が入浴しなくなった現実
もう一つ、よかったことがあります。
それは 入浴の見守りができたこと です。
最近、母は週に一回ほどしか入浴していません。
以前は民間サポートの方が訪問した際に入浴していましたが、最近はそれもなくなりました。
どのような心境の変化があったのかは分かりません。
ただ、家族以外の人には心を開かない状態が、以前より強くなっているように感じます。
高齢者が入浴をしなくなる背景には、気力の低下や人との関わりを避ける気持ちがあるのかもしれません。
母の愚痴がつらい|家族に集中する負担
一方で、どうしても改善できないこともあります。
それは、母の愚痴が会うたびに、どんどん辛辣になっていくことです。
兄嫁、姉、老人会の友達…。
話題に出てくる人たちは、次々と「敵」になっていきます。
特に印象に残っているのが、老人会で大正琴を弾くという話です。
楽しみにしているのかと思っていましたが、相手の対応が気に入らないという理由で、結局やめることになりました。
どのようなやり取りがあったのかは分かりません。
ただ結果として、また一つ、母自身が人とのつながりを断ち切ったように見えました。
人とのつながりを切り、自分だけが残る怖さ
こうして周囲との関係を次々に切っていくことで、
この先、どんどん一人になっていくのではないか。
もしかすると、すべての人を敵に回して生きていくつもりなのだろうか。
そんな考えが、頭をよぎります。
その結果、話し相手は私一人になり、
愚痴のすべてが私に向けられていると感じると、正直うんざりしてしまいます。
介護でも見守りでも、我慢には限界がある
夕食中も愚痴は続きました。
聞いてはいましたが、どうしてもそっけない対応になってしまいました。
我慢にも限界があります。
これ以上は無理だと感じ、夕食を途中で切り上げました。
親の見守りや家族介護では、「聞いてあげること」が正解のように言われがちですが、受け止める側のメンタルが壊れてしまっては意味がありません。
親の見守りに、まだ答えは見つからない
この状況について、今のところ明確な解決策は見つかっていません。
今日はこのまま宿泊し、明日の昼に帰宅する予定です。
明日はどんな会話をすればいいのか。
また同じ話、同じ愚痴を聞くことになるのか。
そんなことを考えながら、今夜を過ごしています。
親の見守りや家族介護は、「やってみないと分からないつらさ」があります。
同じように、高齢の親の愚痴や距離感に悩んでいる方の、何かの参考になれば幸いです


コメント