
先日、母の認知症が少しずつ進んでいることを書きました。
冷蔵庫に食材があふれ、同じものを何度も買ってしまう。
周囲の人に対して不満やきつい言葉をぶつけることも増えてきました。
定期的に訪ねて様子を見ることを続けてきましたが、正直気持ちが沈むこともあります。
一晩考えた末、これからは「たまには泊まってみよう」と思い立ちました。
私が一緒に過ごすことで、少しでも母のストレスが和らぎ安心できる時間になればと思ったのです。
そして、買い物に付き合うことで無駄に増えてしまう食材のロスも防げるかもしれません。
母に対して、つい文句や小言が出てしまうこともありました。
でも、それでは何も解決しないということに、ようやく気づきました。
母の行動の背景には、不安や孤独や思うようにならない身体や心の変化があるのだと思います。
最近、母から伝えられる言葉があります。
「あなたが来てくれると、ホッとするのよ」
この言葉を聞くたびに、ふっと肩の力が抜けるような気がします。
本心なのか、認知症の影響でそのように言っているのかは分かりません。
でも、たとえその瞬間だけでも、母の中に安心感が生まれているのならそれで十分だと思えるようになりました。
その時にふと父の言葉を思い出しました。
あまり多くを語らない人でしたが、晩年に体調を崩して入院が決まった時にしばらく同じ部屋で過ごす時間がありました。その時にぽつりと話しかけてきたのです。
「心配なことがあるんだ」
「何?」と尋ねると、
「お母さんのこと…あの人は、うまく生きていけるだろうか」
とつぶやいたのです。
そのときの父は、すでに自宅でも一人で歩くのが難しく、ほとんど寝たきりに近い状態でした。
自分の体のことよりも、母のこれからを案じていたのです。
その気持ちに胸を打たれながら、私はこう答えました。
「僕が最後まで面倒を見るよ」
父は、短く「それなら安心だ」と言いました。
それが、父と交わした最後の会話でした。

あれから時が経ち、父のいない日常に慣れつつある今、母との関係もまた新たな段階に入ってきたのだと感じています。
ただ「見守る」だけでは足りない、少し踏み込んで「寄り添う」時期がきたのかもしれません。
親の老いと向き合うのは、思っていた以上に難しいものです。
けれど、私にできることを一つずつ丁寧に積み重ねていきたいと思います。
誰かに認められなくても、母が少しでも安心して過ごせるならそれでいいのかも知れないと考えます。
父との約束を胸に、母との時間を大切にしていきます。
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